スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。世界よ、これが岩崎だ。

カップ麺必要悪説

 実家にいた頃のカップ麺は休日のお昼ご飯ポジション。だから日中に食べることが多かった。

 上京して一人暮らしになってからは自炊を心がけているものの、材料を切ったり調理したりすることはなかなかの労力が要る(実家でご飯作ってくれてた家族には感謝しかない)。仕事もちょうど忙しくなってきたので精神的余裕もなくなってきた。とうとう先日の朝食に秘蔵のカップ麺の蓋を開けてしまった。「これは甘えかもしれない」と自責の念に襲われつつ沸騰したお湯を注ぐと、トータル5分程度でアツアツの食糧にありつけてしまった。洗い物は箸一膳だけ。身体も温まり、その日は終始調子良く過ごせた。三十路にしてカップ麺のありがたみを知ってしまった。

 たまに「カップ麺は添加物が入っているから危険!」「太る!」などと目くじら立てて騒いで敬遠する自称健康オタクな人がいるが、私にとってはありがたい存在である。別に毎日食べるわけじゃないし、料理するのもしんどいくらいの時はガッツリ料理を作ってもそんなに食べられないし。そもそもカップ麺含むインスタントラーメンの祖・安藤百福は、5つの開発目標の1つに「調理の手軽さ」を掲げていた。つまり料理がしんどい時にカップ麺に手を伸ばすことは、開発経緯を踏まえると理想的な流れになるのではないか。それより何より、日本で発明された技術が詰まった代物(しろもの)をあれこれ難癖付けて邪険に扱うのは国辱的行為にあたらないか。必要とする人がいるからそこにある、ただそれだけのことである。仮にカップ麺が身体に悪いものだとしたら、それは「必要悪」ではないだろうか。

 野菜が心配なら自分で追加すればいいし、塩分が気になるなら普通のラーメン屋みたいにスープを残せばいい。油は烏龍茶を飲めばOK。添加物が心配ならデトックスしろ。太ったなら痩せろ。要するに健康対策なら自分で講ずればいい、ということである。そうやってうまく付き合いながら生きていきたい。

 

地域猫・コヤタさんに学ぶ、出世に役立つ人心掌握術

 勤め先の近くに、超人懐っこいトラ猫がいる。さくらカット(去勢済みの証明)の地域猫でオスのようだ。

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 上京してから初めて見かけた猫が彼だったので「上京したばかりで知り合いがいないから、仲良くしてね〜」と声をかけたら顔を覚えてくれたらしく、会うたびに「元気か?」という表情で寄ってきてくれるようになった。その面倒見の良さが三菱財閥4代目を彷彿とさせることから、勝手ながら彼のことを「コヤタさん」と呼ぶことにした。会うたびに「コヤタさんは財閥背負ってるからね〜」と教えている。

 ある日の帰宅途中のこと。歩いていたらコヤタさんが「にゃー!!」と叫びながら駆け寄ってきたので、背中を撫でながら「どうした?」と声をかけた。いつもならある程度撫でると満足してどこかへ行ってしまうが、この日は全く離れなかった。それどころか「そろそろ帰るね〜」と言って駅の方に向かうと後ろをついてくる始末。道路に飛び出されると危険なので、仕方なく元の場所に戻ってしばらくコヤタさんのそばにいることにした。

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 すると、コヤタさんがある方向をじーっと見つめはじめた。目線の先には見知らぬ黒い猫。どうやら黒猫がコヤタさんの縄張りを侵害しているらしい。黒猫もこちらの様子を伺っていた。埒(らち)が明かないので、私が「こんばんは〜」と言って黒猫の方に向かうと、コヤタさんも後ろをついてきた。黒猫は人馴れしていないらしく、近寄る私にビビって逃げてしまった。コヤタさんは黒猫がいなくなったのを確認すると、珍しく私の足にビッタリ身体を擦り付けてきた。顔を見ると、素知らぬ雰囲気で「黒いのいなくなった!嬉しい!」と言わんばかりの表情を浮かべていた。

 そこで気づいた。「あ、私は今コヤタさんに利用されんだな」と。私が他の猫を見かけたら、そっちも気になって動くだろう…と読んでいたんだな、と。どうやら私はコヤタさんのことを「上京して初めてできた猫友達」と思っていたが、コヤタさんから見た私は「いつも気持ちいいところをモフってくれる手下」だったらしい。あるいは「部下」「目下」「子分」「舎弟」「下僕」と言ったところか。いずれにせよ対等ではないが、彼の素晴らしいところは「やってもらって当たり前」ではなく、感謝ができるところである。それが彼がこれまで地域猫として生きてこられた理由のひとつだろう。人間でも「ありがとう」を言わない人よりきちんと言える人の方が好まれるもんね。おかげで上手いこと使われたにも関わらず、嫌な気分にはなっていない。むしろ「また猫の手くらい貸してやろうかな」くらいのつもりでいる。

 その後、コヤタさんが他の「手下」と思われる人間を見つけて自らモフられに行ったので、その隙に帰ることにした。帰り道「あれだけのコミュニケーション能力に長け、人心掌握術を有するコヤタさんが猫で良かった…」と心底思った。もしも彼が人間だったら、人を動かして成果を挙げるタイプの物凄いやり手になっていたに違いない。

知らなければ即決できたかもしれない

 また髪を伸ばそうか。

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 ヘアドネーションに髪を寄付して以来、ずーっとショートヘアである。最近忙しさを言い訳に美容院をサボった結果、頭がもっさりしてきたし毛先が跳ねる。ドライヤーを当てて髪を乾かす時間もなんとなく長くなった。そろそろ予約を取らなければならない。

 伸ばすか切るか。洗髪後の髪を乾かす時間やヘアセットの手軽さを考えるとショートの方がいい。岩崎一族自慢の赤毛をぜひ伸ばして世の中に見せびらかしたいが、手入れする時間を確保しにくい(というかそのための心のゆとりがない)のも事実。一方で、髪を伸ばすのには時間がかかる。いつもの美容師さんにこのもっさりした髪を剪定してもらい、冬の間我慢すれば夏には一つ結びができるくらいには伸びるだろう。逆に今切ってしまったら、夏頃に今ぐらい=微妙に結べないのくらいの長さになる計算だ。首都圏の酷暑は昨年散々思い知らされたので、あの時期に首回りをもさもささせるのは不快指数がメーター振り切って発狂しそうになるだろうな…と想像がつく。伸ばし始めるなら今がチャンスだ。

 だがしかし、ショートヘアになってから帽子スタイルにこだわるようになってしまった。ショートの自分に似合うものを選んでいるので、ロングヘアになっても似合うかどうかは未知数である。ロングになったらなったでヘアアクセサリーにこだわり始めるだろうし、髪型にも悩み始めるだろう。つまるところ、どっちに転んでもこだわりに悩むものは悩むからどちらかに決めないといけないが、決まらない。どちらのメリット・デメリットも知っているからである。

 世の中、全てを知ることが良いことだろうか。知らぬが仏、という慣用句もあるくらいだから、ちょっと知らないことがあってもアリかもしれない。知らないことを非難される世の中にはなって欲しくないが…と、はねた毛先を水で濡らして伸ばしながら思った。

交通に関する出来事を紐解いて人生がちょっとわかった気になるエトセトラ

降車駅のその先は

 電車に乗っていると隣に知らない人がいる。目的の方面は同じだ。次の駅で停車し、また次の駅で停車してもその人は降りない。終点に着き、私が降りようと鞄を持ち直したところでその人は我先にと足早に降りて行った。

 その人と私が目的とする駅は同じだった。しかし駅の改札を出たその人は私と逆の方向に進んでいった。「同じ電車に乗っているから、目的地も同じとは限らない」という当たり前のことであるが、意外とこのことを自覚している人は少ない。

 なぜこの話を書こうと思ったか。それは共通点があるだけで「仲間」「身内」と判断して馴れ馴れしく接する人がいるからである。「相手と自分は違う」という義務教育の道徳の授業で死ぬほど習ったはずなのに。「人間関係で悩んでいる人向けの書物に必ず書いてあることなのに。

先へ先へ?

 「少しでも先に進みたい」という気持ちはわかる。だが、周囲の人間に「退け!」と言わんばかりにオラオラ系で進もうとする人はどうかと思う。そういう人に限ってさっき私を必死で追い越して行ったのに、赤信号で足止めされ結局私に追いつかれることがままある。早いからといって必ずしも有利になるとは限らないし、世の中のルールやらなんやらに足止めされてひたすら待たなければならないこともある。

 ただ、もしもその人の運が良かったら、青信号が赤に変わるギリギリのところで向こう側に進めたかもしれない。そのチャレンジ精神は認める一方で「そこでそんなにエネルギー使う必要あった?」とも。知っている人は多いと思うが、車は一定速度で走るよりダッシュ&急ブレーキ、そしてまたダッシュ!という運転をする方がガソリンを消費する。その辺は個人の自由だからこれ以上の言及は控えるが、エコという概念が標準となった現代社会においてエネルギーの使いどころは考えたい。

ルールは何のために

 車が通っていない横断歩道で赤信号だった場合、信号無視して横断して良いか否かという話。赤信号で横断歩道を渡るのは「ルール違反」であるが、それでも渡る人はその行為のリスクヘッジをきちんと考えて行動しているはず。

 定められているルールは守った方がいいのか。大学時代のある授業と友人から「法律とは『こういうことをしたらこういう罰則が与えられますよ!』というルールだけであって、その行為そのものの善悪はまた別問題である」と教わった。今、私は「法哲学」というジャンル一つが成立するくらいの話を書こうとしているが、専門ではないのでこの辺にしておこう。

 ルールは守る人は守っているなりのことが起きて、破った人には破ったなりのことが起きる。それがいいか悪いかは「違反した」という事実の物差しだけでは測れないようだ。

「コロナ」という可愛い名前に似つかわしくない猛威をふるってる某ウイルスの件

 風邪を引いた。鼻はズビズビ、原因はおそらく寒気が急に都内に流れ込んだからだろう。練馬はどちらかといえば山沿いなので空気が滞留しやすく、しばらく寒い日が続いた。「東北人だから寒さには強い」と傲って対策を怠ったのもある。

 薬局に行ってマスクを買おうと思ったが、コロナウイルス流行の影響でオール売り切れ。唯一100均のダイソーに置いてあったが「100均のマスクって大丈夫か?病気を予防すると見せかけて、実は変な成分が付着していて返って体調悪くしないか?」と妙な不安を感じたのでやめた。自宅中を探し回り、奇跡的に1週間分のマスクが見つかったので使っているが、無くなるのも時間の問題…なので体調がどうしてもよろしくない日だけ付けるようにした。

 どーにもこーにも具合が悪くて欠勤した日の翌日。出勤すると同僚から「岩崎さん大丈夫ですか?」と心配された後、続けて「今はコロナウイルスに警戒している人多いですが、それさっ引いてもインフルエンザとか流行ってますからね。病院行ってください」と言われた。

 これは絶対にインフルエンザではない、ただの風邪である。なぜなら私は3回くらいインフルエンザにかかっているので、症状がそれとは違うことを体感していた(それはそれでどうなんだろう)。しかし新型ウイルスによる流行病が横行し、中国では多くの死者が出てしまっているという昨今。ただの風邪であること=身の潔白は公的機関に証明してもらわなければならない。休み時間を使い、上京して初めて内科にかかった。

 先生は問診や聴診器などで一通り身体をチェックしてくれた後「直近で海外渡航の経験はありますか?」と聞いてきた。仕事であちこち行ったが、とりあえず本州は出ていないので「NO」と答えた。献血以外で医者に海外渡航歴を確認されたのは初めてだ。

 世知辛い。早くコロナウイルスが収束してくれないものか。

 コロナと言ったら暖房器具だべ。

細心の注意を払いつつ、とりあえず義理は通しとけ

 バレンタインなので職場の所属部署に義理チョコを配ってきた。

 この歳になると、慣習とはいえバレンタインに贈るチョコ一つに対しても細心の注意を払わなければならない。職場にバレンタインにチョコを贈る慣習は根付いているか、他の女性人はどう考えているか、贈らなければならない対象人数は何人か、対象者は独身か既婚か、独身ならパートナーはいるかいないか、既婚者なら家庭内は円満か否か、子どもはいるか否か…などを総合的にジャッジしつつ、自分のお財布とも相談しなければならない。下手にいいモノを贈ってしまうと、多方面にあらぬ誤解を招きかねない。かといって安すぎるものも大人としてよろしくない。

 で、現勤め先の状況とお財布事情を考えた結果。

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 明治の板チョコを箱買いして1枚ずつ配給。原価1枚88円、災害用の備蓄にも最適だ。ポピュラーすぎて、お返しを気にしなければいけないほどの品でもないだろう。仮に3倍返ししたとしても264円…コンビニのおにぎりとお茶程度の額というなんとも微妙な感じになる。全員分まとめても1000円に達しない。

 勤め先へのバレンタインなんてこんなんでいいだろう。それよりも、同僚たちがご家族やパートナーからおいしいチョコをもらえることを願っている。私の板チョコと大切な人からもらったチョコを比較して「岩崎のチョコよりもこっちの方がおいしい」と自分を気にかけてくれる人がそばにいる幸せを噛み締めてくれたら、こちらも贈り甲斐があったと言えるだろう。

母親が決めた家庭方針が子どもの成長に多大な影響を及ぼす、未婚独身子どもなしの人でもイメージがしやすいであろう極めてわかりやすい実例

 何回か話しているが、私の両親は離婚して父親の方がいない。婿養子となった父が出て行っただけので、私は苗字が変わることもなく引っ越すこともなかった。つまり下世話が大好きな連中が期待する「離婚したせいで不幸になった子ども」にはならなかった。その点には心から感謝をしているし、これが私が岩崎一族を誇りに思っている理由の一つでもある。

 後から聞いた話。離婚を決断した母にダメージが全くなかった訳ではなかったそうだ。「いつまでもクヨクヨしていてはいけない」と自分を奮い立たせた母は「1日一度は笑う家庭を築こう」と誓った。

 

 その結果がこれである。

 

 

 

 ごめん。

 

 

 

オランウータン: 森の哲人は子育ての達人

オランウータン: 森の哲人は子育ての達人

  • 作者:久世 濃子
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 2018/07/19
  • メディア: 単行本