(※この記事は個人の主観によるものです。皆さんはどうか思い悩まずに、食べたい物を心置きなく召し上がってください)
ラーメンが食べたくなる時、人は本当にラーメンが食べたいのだろうか?
衝動的にラーメンが食べたくなる時は、大体心が乱れている時である。「帰宅が夜遅くなるのが確定したのでご飯作るの面倒くせぇ…」とか「ホルモンバランスの乱れでイライラする…」とか。そんな時はどんなラーメンを、いや、どんな食べ物を口にしても同じで、ただ食に関する欲(≠食欲)を満たすことで心を落ち着かせたいだけだ。
先日も無性にラーメンが食べたくなったので、自分の心に問うてみた。「なぁ、君は本当にラーメンが食べたいのか?」と。するとこう返ってきた。
「二郎が食べたいよう!」
ダメだ、要求をこのまま通すわけにはいかない。先日行ったインスパイア系の店が微妙だったからとはいえ、短期間に2度もあの系統のラーメンを食してしまったらデブまっしぐら。それは本意ではない。自分の心が求めるものがはっきりと見えてくるまで、傾聴を繰り返した。「君は食べたいのは肉か?」「野菜か?」「麺か?」「スープか?」と、粘り強く、丁寧に、最後まで諦めない姿勢を見せながら。
どれくらいの時間が経っただろう。ようやく自分が欲しているものが特定できた。
「二郎系ラーメン特有の、お野菜とみじん切りの生ニンニクをたくさん食べたいよう!麺と肉とスープはおまけ程度でいいんだよう!背脂は胃もたれが怖いからいらないよう!」
よく正直に言ってくれたね、私。ありがとう。それなら簡単じゃん!と、業務スーパーに行って20玉入り498円(税抜)のニンニクを入手し、別なスーパーで野菜炒めセットをはじめとするラーメンに必要な材料を買って帰宅。フードプロセッサーでニンニク1玉をみじん切りにした後、普通にラーメンを作った。
できたラーメンのスープにニンニクを少しずつ入れながら、無心で麺と野菜を頬張る。舌がニンニクの刺激でビリビリしていくのと引き換えに、心がスーッと穏やかになるのを感じた。「私が求めていたのはこれだ…」と、満足感と達成感を覚えた。この時の私が食べたかったのは確かにラーメンだった。だが、店で食べなくても別に良かったのだ。
衝動的な感情に自分自身の支配を許すことは、あまりない方がいいだろう。疑わしきは自分であっても詳細に尋ねよ、例えそれがラーメンであっても…だ。
…さて、ここまでは読んでくださった皆さまはお気づきだろうか。ニンニクがあと19玉残っていることに(どうしよう…)。
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