スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。世界よ、これが岩崎だ。

好きなものが違っても

 「どんな人を恋人にしたらいいか?」と悩む方は、自称アドバイザーを名乗る周囲の友人知人からの助言を聞いたり、Webライターが書いた記事を見たりするだろうが、それぞれが千差万別なことを好き放題語っている。法則性が見出せなくて、さらなるお悩みスパイラルに陥る方もいるだろう。

 私個人からは「直感とご縁に委ねるしかない」としか言えない。相方のロキとの出会いは高校だったが、学科が違う上に教室の位置も真逆。部活も違うし、通学路(自宅)も反対方向だった。きっかけとなったある出来事がなかったら、卒業アルバムを見ても互いの存在に気づかなかっただろう(馴れ初めは別な機会に)。

 

 で、恋人の条件として「食べ物の好みが同じ」「笑いのツボが一緒」ならOKというアドバイスをWeb上でよく見かけるが、私たちの場合は完全に一致していない。でもそれが原因で揉めたことはない。

 なぜか。趣味趣向は異なれど、根本的なタイプが似ているからである、と推測する。

 

「思考すること」が好き

 ロキも私も、基本的に考えることが好きである。日々の思考内容はそれぞれ異なるが、数値化したらきっと1週間でスマホ通信制限に達するくらいの量になるだろう。

 だから、ロキ「一捻りされているネタを披露するお笑い芸人」が好き。笑いの中にも思考することを求めている。アンジャッシュサンドイッチマン、和牛など。「このボケに対して、次にツッコミはこう来るかな…そうきたかー!!」と、予想しながら見るのが楽しいらしい。


【公式】サンドウィッチマン コント【写真館】

  「ノリと勢いで貫くお笑い芸人」が好き。リズミカルでヒャッハー!!な感じであればなおよし。オリエンタルラジオスピードワゴン、バンビーノ、サンシャイン池崎など。最近のお気に入りは西村ヒロチョ。最近まで無意識だったが「日頃の思考でごちゃごちゃしてる頭の中を勢いでリセットできる笑い」を選んでいることに気づいた。


【公式】ロマンティックグーチョキパー1【西村ヒロチョ】 

 それぞれの好みについて「抱腹絶倒するわけではないけど、おもしろいよね~」というのが共通認識。仮に、どちらかが「俺、それだけは生理的に受け付けられないんだよね…」「今の笑いのツボどこだったの?意味わかんない」となっていたら、関係が悲惨なことになっていたかもしれない。

 

食べ物の好き嫌いは特にない、しかし…

 幸運にも、親の教育が良かったおかげで2人とも食べ物の好き嫌いがない。今のところアレルギーもない。そして出されたものは残さず食べる主義なので、食事で苦労したことはない。しかし、双方「できれば口にしたくない苦手なもの」はある。

 ロキ唐辛子系の辛味がダメ。少量であれば耐えられるそうだが、中華料理や激辛系は悶絶するらしい。なので、外食先でキムチなどを出された際はのデザートなど食べられるものと交換し、難を逃れている。理想と合致した完璧人間じゃなくても、互いのことをフォローし合えれば大体のことは大丈夫。

 は、豆のくせに口の中の水分を持っていくひよこ豆が苦手。中学校の給食に出て以来ずっと根絶を願っているが、多方面から「普通の一般家庭では出ない」と言われているし、そもそもどこで食べられる・買えるのかも知らないのでかろうじてロキに迷惑をかけたことがない。逆に「いつひよこ豆と遭遇するかわからない…」という恐れを抱きながら生きているが、もしものことがあったらがなんとかしてくれるだろう、と勝手に期待している。

 

「違う」から「歩み寄る」姿勢を

 この投稿にも通ずるものがあって、仲良く過ごすには「互いの好きを認めること」が大事じゃないかな、と思う。

iwama03.hatenablog.jp

 個人的に、パートナーの趣向に理解を示さない人の気持ちがわからない。世間では「嫁にガンプラ捨てられた」とか「趣味のコレクションをメルカリで売られた」ってことがあるらしいが…。好きな人の好きなものを理解する努力をしてみよう、わかったら一緒に楽しめるし、わからなかったらそっとしておこうという発想に至らないのか?

 パートナーは自分の所有物じゃない、一個人であり他人だ。恋人だ結婚だなんだで自分のモノになった気になるのかもしれないが、それは傲(おご)りに過ぎない。私はそれで、高校時代のロキに嫌われている。経験ベースの反省があるからこそ、今はどんなに千歌ちゃんかわいい…」と言おうが、映画館で限定グッズをかつてないほどの真剣なまなざしで吟味しようが、それもひっくるめてすべてが「ロキ」なんだと思えるようになった。

iwama03.hatenablog.jp

 

 パートナーと自分は違う、だから理解するために歩み寄る姿勢を常に持っていたい。

 

 今回のタイトル、なんかどこかで聞いたことのある語感だなー…と思ったらこれだった。