年末のガキ使(の稲垣吾郎関連のツイッター)を見るまで、どぶろっくの某ミュージカル風コントがキングオブコントで優勝したことを知らなかった。
あのネタをかいつまむと、母の病気を治すために薬草を探す青年?の前に神が現れ、「願いを一つ叶えてやろう」と言ったところ大きなイチモツを所望する…という流れだ。
…なぁ、大きなイチモツ必要か?
青年は母と2人暮らし。おそらく配偶者はナシ。彼女がいる可能性も低いだろう。それにもかかわらず大きなイチモツを欲する事情と心理背景を知りたい。
思いついた可能性は2つ。「近親相姦」と 「結婚願望」だ。前者は同義的に考えたくないので、後者の説を採用する。
青年は病気の母を息子ひとりで面倒を見るのに限界を感じてきたのかも知れない。家族構成から察するにワンオペだ。しかも青年はそんなに若くなく、母の看病が肉体的にキツくなってきている恐れがある。
そうなると「一緒に母の面倒を見てくれる嫁がいてくれたら助かるな〜…」という発想に至らなくもないだろう。しかし、姑との同居を拒否する嫁が多い昨今、ましてや病気持ちとくれば嫁に来てくれる人は少ないと容易に想像できる。青年も自覚していたはずだ。「こんな僕だけど、もしも大きなイチモツがあれば、僕と結婚するメリットが生まれて婚約を考えてくれる人が出てくるはず…」と。そんなところに神が現れ、願いを叶えてくれると言ってきた。
千載一遇のチャンス!そこで思わず「大きなイチモツをください」と懇願するが、神が動揺して一瞬我に返る。母の命を優先したい気持ちは山々だが、こうも考えたはずだ。母が元気になってしまったらどうなるだろう?と。今まで病床に伏せっていた人だ。病気が治ってしまったら今まで行けなかったところ(観光地とか温泉とか)に足を運びたがるかも知れないし、NHKカルチャーセンターのハンドメイド教室に通いたがるかも知れない。そこでできた友達と秩父旅行に行ってくるかも知れないし、いい感じの男性との出会いがあれば熟年再婚の可能性も否めない。母のために人生を捧げてきたであろう青年にとって、それはあまりにも酷ではないか。おそらくマザコンっ気もあるのだろう。「母の病気が治ってどこかに行ってしまうくらいなら、治らないで一生僕の側にいてほしい」と、青年の心の闇がじわりと顔を出し始めた。
加えて、どういう事情かは知らないが男性としての自信もあまりないのだろう。肩に担げるサイズの大きなイチモツを持つことで、それを心の拠り所とかプライド・誇るべきものにしたかったのかもしれない。そうであれば、後半の「愛とか優しさくそくらえ」という歌詞に納得がいく。なんとも世知辛い話である。
その後、青年は神の説得を聞き入れず、頑(かたく)なに願いを変えない。神は「もういいよ」と呆れて帰ってしまうが、青年は後を追っていく。その様子から、青年が余程悩んでいたことが伺える。
民生委員は彼とお母さんをちゃんと見守っていたのか。行政は何をやっていたんだ。「ワンオペ」が社会問題のひとつとなっている昨今、このコントは現代社会に投げかけられた提言…じゃない。ただの壮大な下ネタだ。