スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む平成元年生まれの岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。

情報ってなんだろう

 頼りにしていたワンセグ付きスマホがシステム異常で使えなくなり、テレビという媒体を目にしなくなって久しい。テレビを買いたいのは山々だが、中古で買う経済的ゆとりを今のところ持ち合わせていない。それでも、世の中の情報はiPhoneでざっくりと収集できているので問題ない。

 感心したのがTwitterに搭載された中継機能。例を挙げると、新天皇即位の生中継は各テレビ局の公式アカウントや内閣府がオンライン中継していたので、難なくリアタイ視聴ができた。YouTubeやAmazonプライム、AbemaTVで映像作品も見られる。

 当然、新聞各社の報道も見逃さない。河北新報が毎日17時にその日の東北の主要ニュースをLINEで送ってくれるので、俗に言う「浦島太郎状態」は防げそうだ。仕事で必要な情報は、だいたいその業界に特化したメディアがあるし。全国ニュースは何もしなくてもフォローしてるTwitterアカウントから入ってくるので困らない(個人団体企業含め)。

 目にするニュースの、いわゆる「マクロ・ミクロ」的な視点の差だろう。逆に自分の生活範囲に何があるかわからなくて困っている。通勤している某所は常にヒト・モノが溢れ、通勤経路だけでも通りにいくつ店があるか数え切れないほどが、自宅のある辺りは閑静な住宅街で駅前を少し離れると本当に何もない。沿線の駅周辺は急行列車が停車するところしか降りたことがなく、各駅停車まで範囲を伸ばせば面白いものが見つかる可能性があるが、行動範囲を広げすぎると自分の中で収集がつかなくなる恐れもある。

 どこまで足を伸ばし、開拓するべきか。判断基準になる情報がアナログ・デジタルともにムラがあり、結局のところ有益なものがない。人伝いに情報を入手するにしても、東京には友人と親戚一家がいるくらい。友人を作りに行くための資金(いわゆる交際費)も、諸事情により少なくとも盆明けまで切り詰めなければならない。錬金術でも使えるようにならない限り、現状改善が見込めるまでおとなしくするしかないという選択肢しかない。

 情報は空気や水と同じで、生きる上で不可欠なものと教わった。今、私は「自分の周りに何があるか多少わからなくても生きていける」という情報を持っているのかもしれない。

 仙台にいるころは、街のどこに何があるかは大体わかっていた。わからないことがあっても、わかる情報をつなぎ合わせれば解決できることもあった。今は何もわからない、情報がない。

 ただ、この状況を嘆く必要はないと思っている。かえって無知を楽しむのも悪くない。現状に置かれてるからこそ語れることも、これから出てくるだろう。とりあえず生活はできているから、しばらくは小難しく考えずにいこう、と思う。 

情報の呼吸法 (アイデアインク)

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