はてなブログにメールで「1年前の記事を振り返りませんか?」と煽られたので乗ってやった。
おいおい、狙ったのか?
今日、この記事を書くきっかけをくれた方の訃報を知った。ご家族・関係者の皆様にお悔やみ申し上げるとともに、故人のご冥福をお祈りする。
この方には仙台にいた時に本当に世話になったし、先週もちょっとだけお会いする機会をいただけて元気な姿を見せてくれたのに…。これからの宮城を変えてくれるキーパーソンの1人であっただけに、無念でならない。
原因は不運な事故だったそうだ(状況を聞く限りこの表現以外が見つからない)。関係者になんとお声がけをしたら良いかわからない。「ただ悲しみに寄り添うことしかできない」とは、こういう状況のことを指すのか。大学であれだけ「生命」だとか「魂」「死」「天国」「神」だとかを勉強したくせに、何も生かせない。役に立つことができない。こうして哀惜の意を駄文に変換し、自分のブログで書き連ねるだけである。
きっと、人間は今後どれだけ学術研究や技術革新が進んでも「死」という絶対的存在には抗えないだろう。そして故人が残したものが、残された人に前に進むための確信力を与えてくれることを願うばかりである。