スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。世界よ、これが岩崎だ。

私よ、どうか安心してくれたまえ

 SNS整理を完了したと思っていたが、何か忘れている気がする…と思って、スマホを開いたらmixiアプリが入っていたことを思い出す。おそるおそる開いてみたら…出てくる出てくる、クローズドSNSならではの“ゴミ”の山。コミュニティ→マイミク→つぶやき→日記の順で、手動で消しまくったら作業完了に一晩かかった。

 私が10代の頃はちょうどmixi最盛期。一番最初に作ったSNSアカウントだが、それでも同世代の中では遅い方だった。それでも大学時代の友人たちが喜んでつながってくれたのが救いだった。

 20代になると足跡機能の廃止(後日機能復活したが時すでに遅し)の影響で衰退の一途を辿るが、その頃私が個人的に付き合ってたリアルのコミュニティがダメダメで、その一派とSNSでつながったのが間違いだった。

 心にも思っていないキラキラ投稿を強要され、しかも画像編集が必須&気に入られない投稿はメッセやLINEで直接DISられる始末。そして連中からイイネ!をもらわないと存在すら認めてもらえない…という、思い返すと異様な空気が漂う環境に身を置いていた。他のコミュニティに身を移すことも考えたが、先に抜けた人たちが「最後まで貫き通せない意志薄弱者」「無礼者」などと批判・嘲笑されているのを見て、それが怖くてつながりを切られなかった。東日本大震災後で皆が不安を抱えていたということを考慮しても、あまりにもクズすぎる連中ばかりだった。やはり仙台はあの頃から田舎だったらしい。どんなに面積が広くても、(特に都市部の)人々の行動範囲と心が狭すぎる。

 つぶやきを見返し、当時の自分の気持ちを思い出しながら削除した。ひとつ消すとともに「もう無理しなくていいからね」と、あの頃の自分を慰めている気持ちになった。亡くなったものを供養している感覚に似ていた。

 当時の私よ、安心してくれたまえ。あれから君は成長し、そいつらをシカトして蹴散らせる度胸と問答無用の対抗話法を構築できる知性、そして確固たる「自分」を手に入れた。理想的…とまではいかないが、そこそこいい大人になっただろう?存分に誇るが良い。

 

 …全部終わったから。もう大丈夫だからね。