同窓会が開かれるので、東京にいることを同級生らに自慢したい欲が湧き出たのは先日の話。一応決着はついた。
同窓会開催が近づくにつれ、だんだんと憂鬱になっていく自分がいる。考えてみれば8年ぶりの顔合わせ。私の中で彼らの存在がアップデートされておらず、それぞれの現状・近況が全くわからない。本来、同窓会とは近況を確認するために開かれるもののはずだが、元々付き合いが薄かった上に仙台を離れてしまったので皆目見当がつかない。
みんな出世してたらどうしよう。SNSを眺めている限りでは女子たちは結婚・出産を経験しており、みな絶賛子育て中のキラキラママになっている。2人来る恩師の片方は独身だったはずだが、状況変わって結婚してるかも知れない。もう片方は出世して、なんかよくわかんないけど難しい漢字が羅列されたエラい団体・組織の偉い人になってるかも知れない。
東京でキャリア積みながら、土日はスキルアップに尽力してる…という自分が、ヤツらのマウントを取れる保証はない。現代の日本においては、自分らしく生きることの素晴らしさは提唱されているものの、自分の道を進むよりも家族のために頑張る人の方が賞賛を受けやすい時代。マウンティングどころか、私がここまでたどり着くまでの苦労を理解してもらえず「岩崎は独身だからいいよね。ウチは子どもが来年高校受験でさ〜…」で流されたら悲しい。もしくは「アタシ結婚しなかったら仕事続けたかったな〜」と言われたら、アンタがそうするって決めたからそうなったんでしょ?とは言い返せない。つまり、同窓会において自由を謳歌する独身はまだ圧倒的弱者であり、場合によっては「まだ結婚してないちょっとアレなヤツ」ポジションに置かれる。現代日本では、平成生まれでも地域によってはまだその構図が生きている恐れがある。
ネガティブな思考は連鎖する。なんで「恩師が来るなら私も同窓会行く!」って言っちゃったんだろう。恩師に会えるメリットよりも、自分が貶められるリスクの方が大きいというのに。今さら「(あながち間違ってはいないけど嘘で)仕事が立て込んでて、東京から戻れないからキャンセルする〜!ごめんね〜!」というのは大人としてカッコ悪い。むしろ「忙しいんだけど、同窓会あるっていうから帰って来てやったぜ感」を出していきたい。それくらいは許してほしい。
正月だろうと何だろうと、東京から一歩も出たくないのが本音である。池袋に宮城ふるさとプラザがあり、東京であろうといつでも宮城の物を入手できるので郷愁に誘われることはない。そして願わくば練馬とともに生き、練馬とともに死んでいきたい。私に万が一のことがあったら、どうか死んだら練馬大根の畑に埋めてほしい(ブルーベリー畑も可)。農産物の養分となって、練馬の産業を土の中から支えていきたい。
「死んだら練馬の畑に埋めてもらって練馬大根またはブルーベリーの養分になって練馬に貢献する」という夢が叶う!日本に来て〜⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝ https://t.co/y1jOVdPwTP
— 岩崎 (@superiwachannel) 2019年12月12日
とりあえず帰省の準備をはじめるとしよう。ハァ…着ていく服がない…。
*追記*
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