「会食恐怖症」という言葉を知った。
こちらのプレスリリースを拝見してのことだが、
会食恐怖症は、人前でご飯を食べること(会食行為)に対して耐えがたい不安や恐怖を引き起こす心の疾患 のことだ。会食恐怖症になると、会食の場面で吐き気、めまい、胃痛、動悸、嚥下障害(食べ物が飲み込みにくい、または飲み込めない)、震えなどの様々な症状が現れる。当事者の多くが会食の機会を避けるようになり、人間関係、恋愛、仕事、将来の展望、目標達成などに支障をきたし、QOL(人生の質)が大きく低下してしまうことが、大きな悩み となっている。
ということらしい。この症候群になった人は、もし克服できなければ「孤食」を選択するしかないじゃないか。私みたいな独身ぼっちは別問題だが。
「残さず食べなさい!」は、私自身は家ではさほどなかったが小学校ではよく担任に言われた。特に低学年時代の担任は恐ろしく昭和な考え方の人たちで、「皿に盛る量はみな平等」とした上で「残すのは論外」という思想の持ち主ばかりだった。こういうことが思い出されるということは「食べられない食の強要」が、いかに子どもの心に深く残るかを実感する。
食べられないことは「悪」なのだろうか。もったいない論者が引き合いに出すのは大体「食べ物がなくて困っている発展途上国の子どもたち」だが、目の前の食べ物を残したからと言って彼らの生活が一瞬で改善されるわけではないし、その食べ残しを届けてあげる手段もない…っていうか、そもそも彼らには日本人が余らせたカスではなく、栄養が取れて精がつき、明日も命をつなげられるようなフルコースを用意するべきである。本気で発展途上国の子どもたちを助けたいのであれば、目の前の食べ残しにケチをつけるのではなくしかるべき支援団体に募金なり寄付なりした方が早道である。そしてその子たちを物質的・金銭的に微々たる力であれサポートできる我々を萎縮させるような言動は控えてもらいたい…と、大人になって知見が増えて言えるようになったが、子どもはここまで言えないよね。
不幸中の幸いか、会食恐怖症の人たちは恐怖原因(=周囲の人)を取り除ければ普通に食べられるそうだ。人前であえて食べ物を残すという治療方法もあるそうだが…まずは当事者たちが楽しく食事ができるようになることを願わずにはいられない。