スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。世界よ、これが岩崎だ。

かろうじて生きてはいる

 前回のエントリーが昨年9月。マジか。ブログの存在を忘れていたわけではない。書きたい話も山ほどあった。しかし更新する心と身体の余裕がなかった。前回も、かなり自分を取り巻く環境が変わる中で何とか輩出したエントリーだったと記憶している。コロナ禍だけではない。上京2年目、練馬の水が身体に馴染んできたところで、古里に錦を飾るべくそろそろ本腰を入れたいとあれこれ手を伸ばした結果こうなっている。つまりこういう状況に陥った原因は自分にある。自業自得だ。やっと落ち着いてきたので、また少しずつ更新していこう。「文章を書ける」、それが私にとって胸を張れる宝物のひとつだから。

 

 最近、生きているという実感がない。生命活動を維持しているという感じである。「生きる」という言葉には、心臓を動かすこと(生物学的側面)と、「自分」の存在を認めて過ごすこと(倫理・道徳的側面)の2つの意味があると思う。どっかの哲学者が似たような話をしているかもしれないが、思うに「自分」とはリアルのその人を認知する他者がいることで成立するものであり、コロナ禍で急速に発達したオンラインなんちゃらだけでは醸成されるものではない(オンラインなんちゃらはリアルのその人が認知されている中でやるから楽しいのであって、知らない人とやるのは認知されている実感が薄い)。独身一人暮らしならなおのこと、いかに「自分」を守ってコロナ禍を「生きる」かが課題だろう。つくづくそう思う。

 コロナ禍と言えば、先日の福島宮城地震には参った。東日本大震災の余震らしく、練馬も嫌な感じに揺れた。実家の無事を確認した時はホッとしたが、夜間だったことに加えて緊急事態宣言もまだ解除されていない中で万が一のことが起きていたら……と想像すると背筋が凍る。岩崎一族は防災意識の高い宮城県民とはいえ、心配なものは心配である。本当に大きな被害がなくてよかった。

 アマビエ様に海中に潜ってもらって、地震ナマズをシバいてもらえないだろうか?