スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む平成元年生まれの岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。

バーカ!!

 ふと、私はこのブログを書いていて「誰かに読んで、共感してもらえているのだろうか」と不安になった。私のことを知っている人なら「まーた岩崎が何か書いてるよ」で済む話だが、例えばTwitterやブログのランキングサイト経由で来てくれた人はどう思ってくれているのだろう。

 「誰に向けて書くのか、読者は誰なのか、ターゲットを絞って、イメージして書きなさい」というのは文章を書くことを生業とする人間たちの常識だが、このブログは「誰かが笑うか、誰かに共感してもらえればいいや」というところから出発しているので正直に言うと全年齢対象・ジェンダーレスのつもりである。来るもの拒まず去るもの追わず、「デートのお誘いはいつでもお待ちしてます」って感じ。

 ただこれだけは言える。「私の文章はわかるヤツだけが読んでくれ」と。一言一句の意味もさることながら、文章に込められた含意も想像できる人…以外は読まなくて結構だ、というスタンスでいる。かつて、不定期に話題に挙がる《仙台時代に苦しめられた二度と付き合いたくない人たち》に「岩崎の表現って難しいよね」と否定的に言われたが、私から見ると「勉強している自負があるならなぜ私の表現の意図するところがわからない?」という感想しか出てこない。これをもっと簡単にシンプルに、より大勢が理解できるように言って差し上げると「バーカ!!」であるが、そう言ったら“あなたたち”は怒るだろう?

 日本語は自由度が高い言語だ。英語で「I」とするところを、日本語では「私」「俺」「僕」「自分」「拙者」「ワイ」「おら」…などと、多様に表現することができる。言い換えれば、多様な言葉を用いてより自分を詳細に表現し相手に伝えることができるのが日本語である。同時に、我々は世界的に見て珍しく難しい言語に生まれた時から親しんでおり、自在に操ることができる。私はその恵まれた現状を、日々楽しみながら生かしているだけである。「自己満足」と言われてしまえば否定はできないが、それが何か問題でも?表現は必ずしも他者に益を還元しなければならないものか?(損を与えるばかりでも困るけどさ)

 私のブログを読むには、頭をある程度使わなければならないだろう。自分で書いていてもそう思う。しかし、もっと簡単な表現で書くこともできるが、それをやったら意味がない。私は思考をやめた・何も考えない・無知な人間にお近づきになってほしくない。このブログを読んだ方から叱咤激励やご意見・ご感想をいただけるならドMなので喜んで受け入れるが「小難しい表現ばかりでさっぱりわからない」と、私を自分の知的レベルに合わせ(=下げ)ようと文句を言う人は軽蔑する。私はあなたのいいなりにはならないし、それが必要なことであると思ったらとっくにやっている。つまり“そういうこと”、それだけだ。