スーパーいわちゃんねる!

人類総岩崎化を目論む平成元年生まれの岩崎が、全国19万人の岩崎さんと1億人ちょいの岩崎さんじゃない人に向けて更新中。

究極のおまいう案件

 今年の3.11から2週間が経過した訳だが、それどころではない。コロナウイルスの世界的流行の余波で政府主催の追悼式典が中止になったし、この時期になるとマスコミが乱発するする「絆を再確認する」系のドキュメントも「日頃の防災に関する備えを再確認しましょう」的な特集企画も一瞬で終わらせられた気がする。仕方がないか。来年はその辺をちゃんと国全体でやってもらえるといいな。早くコロナ収まらないかな。

 で、ふと思い出したことがある。3.11以降しばらくの間、地元の某新聞社デジタル部門のベテラン記者と仙台市内のボランティアに関する情報発信ブログを更新する活動させてもらい、それを機に記者だのライターだのを志すようになって現在に至っている。つまり私は「3.11がきっかけで人生が良い方向に変わった1人」であるが、そのことを誇ったり自慢したりすることなど決してしないし、死んでもそんなことできない。

 ご存知の通り、東日本大震災は死者・行方不明者数が約1万7000人を記録しており、生き残った人たちも簡単に生活再建ができたわけではない。ウチだって家族および親戚縁者は全員無事だったし内陸だったから津波被害こそなかったものの、実家の基礎にヒビが入って一部損壊判定出たし。避難所には行かなかったから食べ物を探して街中歩き回ったし。…って、不幸自慢しても仕方がない。

 当時はみながそれぞれに大変だった中で、地元民はできる最善の行動を選択して助け合った。「生存して日常を取り戻す」が最優先で、「ボランティア婚」だの「自己実現」「やりがい」「(ボランティア参加者の)居場所構築」だのといったキラッキラの類(たぐい)のものはぶっちゃけオマケである。ん?「オマケが本編の人もいる」って?やかましいわ。とにかく私もボランティア活動に志願した結果、予想していなかったオマケをもらって生きているだけの存在である。それ以上でもそれ以下でもないことは、今日まで常々肝に銘じてきたつもりだ。

 東日本大震災発生から3年くらいは様々なボランティア団体が被災地に出入りしていたが、その中のとある団体のトップ(団体名も人物名も忘れたし検索しても出てこなかったけど、他所から来た結構デカいところだったのは覚えている)が2012年のある日に自身のブログでこんなことをほざいていた。

 ざっくりまとめると「東日本大震災はチョー悲しかったけど、僕はそのおかげで(=震災がきっかけで)念願の自分の本を出すことができた。僕は3.11の受益者でもあると。はぁ〜?お前が言うか、それ。

 彼は、自身のブログ読者はボランティア関係者しかいないと踏んだのだろう。甘い。私は当時マメにボランティアセンターに出入りさせてもらっていたから知っている。そのボランティア関係者の中には「自宅が少し落ち着いたから、自分より大変な人たちの力になりたい」と願って参加している被災者もいたことを。残念ながら、そのエントリーはそのうちの1人に見つかり、その人は私にエントリーを見せながら「受益者って言葉はちょっと…」と、沈痛な面持ちで言った。あまりにも身の程をわきまえない発言にあきれてしまい、私はその人に「こいつクズっすね」としか返事してあげられなかった。

 クズ…もとい、その団体トップはそのエントリーで被災者の心を傷つける意図はなかっただろう。今だったら、下手すれば炎上案件である。本を出してもそれほど有名にならなかったのが不幸中の幸いか。いずれにせよ、オンライン・オフライン問わず自分の立場を理解した上で日頃の発言には気をつけた方がいいな…と改めて思った次第。おっと、特大ブーメランが頭に当たったぞ。