某テレビ局の恋愛リアリティー番組出演者が急逝した話。死因は公式では明らかにされていないが、その番組で付いたイメージによって見ず知らずの人たちからの誹謗中傷を苦にした自殺……という説が濃厚らしい。
歴史の話。かつてハンムラビ法典では「目には目を、歯には歯を」という復讐法が定められていたが、この法律の画期的なところは「やられたらやり返してOKだが、やり返していいのはやられた分まで」という内容(って高校の世界史の先生が言ってた)。あなたが目を潰されたら相手の目を潰して良いが、相手の命まで奪ってはいけない……という感じ。「半沢直樹」のようにやられたらやり返す……倍返しだ!はNGということだ。
近年、問題を起こした一般人が見ず知らずの誰かに特定され、インターネット上に個人情報を公開されて社会的に制裁を受ける「私刑」が横行している。今回亡くなった方の誹謗中傷はその延長線上にあるものと個人的に捉えており、SNSの発達で有名人だろうと一般人だろうと不快な輩はお構いなしに叩いてOKという風潮になりつつある現状を懸念している。
日本人は兼ねてから「空気」というものに影響され、怯え、他者と足並みを揃えて生きてきた。以前のエントリーに軽く記したが
30年以上前に山本七平『「空気」の研究』という本が出版されるくらい、俗にいう「空気」と日本人は深い関係にある。この本の内容が今でも十分に通用するから恐ろしい。それだけこの国の人間と「空気」は変わっていない。
……のである。美しい表現を使う人は「集団行動の重要性」という言葉を使われているが、裏を返せば「日本人は他者と違う行動を取ることで疎外されるのを懸念している民族である」と言えるのではないか。そのことの良し悪しは別として、この国では誰かが怒っていたらその怒りにも共感しなければならないのだろうか。
確かに大勢の怒りのエネルギーが一箇所に集まれば、時に社会が大きく動くことがある。歴史上でそのような場面が何度もあった。外国でもあった。問題は、その怒りが論理的なものではなく、「空気」によって流された人たちの心に芽生えた根拠のないものである……ということだ。21世紀、元号は令和になった。日本人はそろそろ世の中の「空気」を吟味・精査することを学んだ方が良いのではないだろうか。
ちょうど今読んでいる小池一夫氏の「自分のせいだと思わない。:小池一夫の人間関係に執着しない233の言葉」に、こんな言葉が載っていた。
好きな人や好きなことには、自然とやさしい 大らかな態度になるけれど、嫌いな人や嫌いなことに「攻撃してもいい」「失礼な態度をとってもいい」ということではないんだよ。(中略)関心を持たないことで対処します。短く言うと「ほっとけ」。
自分のせいだと思わない。: 小池一夫の人間関係に執着しない233の言葉 | 一夫, 小池 |本 | 通販 | Amazon 30頁
小池氏の言葉を借りると、誹謗中傷を行うのは「嫌いをほっとけない人たち」と言うことか。厄介である。できれば今後の行いを改めてほしいところ。