いきなりで恐縮だが、別名義での活動に向けて準備を進めている。こちらでは創作活動や舞台・芝居活動を中心に展開していくつもりである。
この際だから別名義も復活させるか。パブリックが岩崎で、アーティスティックが別名義、つまり芸名……的なやつ。自分で決めた名前。実はめちゃくちゃ気に入ってる
— 岩崎🤔 (@superiwachannel) 2020年5月23日
あまりはっきりと明言してこなかったが、実は仙台にいた一時期に仙台演劇界隈に顔を売っていたことがある。舞台も何回か踏んだ。元々、高校時代に演劇部部長を務めて自分で脚本を書き、自分で演じていた(真の意味での自作自演をやっていた)ほどの人間だ。卒業後もアマチュアで活動するということは、誰が見ても自然な流れであろう。
だが仙台演劇界のレベルが一部を除いて学芸会レベルである(大したクオリティでもないのに客の評価が甘いため全体のレベルが一向に上がらない)ことと、(このブログでもたびたび話題にしている)当時付き合いがあった人生で2度と関わりたくないコミュニティの面々から「演劇なんてダサすぎwwwwwそのルックスで俳優とかwwwwwいいから痩せろよブスwwwww」と散々バカにされ続けたのが嫌になってやめた。
以来、別名義で活動をしていたことすら忘れていたが、先日夜中に思い立ってFacebookのイタい過去投稿を手動で削除しまくった際に当時の投稿を見つけて記憶が蘇った。「アレ」も大切な「私」だ、と。
腹決めてFacebookの過去投稿でダメなやつ片っ端から削除してるんだけど、見返してたら自分のやってきた事が多彩すぎて忘れてたことが多数あった。衝撃だったのは「OH!バンデスに一瞬映してもらったことがある」、ただしあれは私であって私じゃない(別名義で活動時だった)けど……
— 岩崎🤔 (@superiwachannel) 2020年5月23日
仙台で別名義で活動しなくなった理由は色々あったけど、1番は「一部界隈にから『演劇とかダサすぎwwwww仲間がそういう活動してるの恥ずかしいんだけどwwwwwそんなことしてないで痩せろよブスwwwww』って言われたから」だったなぁ。あの人たちとは縁切ったから大丈夫、うん。東京で再スタートだ
— 岩崎🤔 (@superiwachannel) 2020年5月23日
上京してから一年間、ずっと自分と向き合って見つめてきた。この時ようやく「フリー記者も作家も、ついでに欲張ってまた表現者活動もやりたい」という、自分の中に眠っていた欲が見えた。
幸いにも、仙台で私にあーだこーだ言ってきた人間たちとは縁を切った。そして「東京にいる」ということが、私の背中を押してくれている。変な自信が湧いてきた。
というわけで、現在「表現者」としての自分のセルフプロモーション(と言ったら大袈裟?)についてアイデアを詰めつつ、作品の出力先などを整えている最中である。何かのタイミングでお知らせできたら幸いである。